滑走直前の練習中に村主と衝突して転倒、右足を痛めた安藤。だが、アクシデントにも歯を食いしばっての演技で総合3位に残った。
「ヒザを直撃。筋肉が緊張して、利き足で踏ん張れなかった。(思うようにできず)悔しかった…」。突然の苦しみを乗り切った複雑な気持ちで、演技後も涙をこらえるのに精いっぱい。それでも滑り切れたのは、来春への強い思いがあったからだ。「4回転を跳べるように」。世界選手権での本領発揮を誓った。
SP首位で初優勝を狙った中野は、ミスが相次いだフリーで6位と大きく転落。総合で5位に終わり、4年連続の世界選手権メンバー入りを逃した。
「自分らしく演技できなかったのが心残り」。振り返る表情に笑みはない。プレッシャーの中でライバルに勝つ大変さを改めて思い知らされたようで、「朝の練習は良かったのに、すごく緊張して気持ち的に弱かった。練習から本番だと思って取り組んでいかないと」。自滅した戦いに、課題を痛感していた。
2004-2005シーズンからシニアへ完全移行。シニアのグランプリシリーズでは、初参戦ながらいきなりグランプリファイナル進出を果たし、続く全日本選手権では2連覇を達成した。2季連続で出場した2005年世界選手権では6位入賞にとどまった。
2005-2006シーズンより拠点をアメリカに移し、スコーバレーオリンピック女子シングル金メダリストのキャロル・ヘイス・ジェンキンスに師事。3連覇が期待された全日本選手権では6位に終わったものの、グランプリシリーズの代表選考ポイントでトップを維持し、トリノオリンピック日本代表に荒川静香、村主章枝と共に選出された。
五輪前の年末に右足小指を骨折。本番前に完治したとは語っているが、鎮痛剤を服用しながら万全とはいえない状態だった。ショートプログラムではミスを連発し8位と出遅れる。フリースケーティングでは4回転ジャンプに挑むも回転不足で転倒(練習でも成功率2割程度だった)、その後もミスが続き、総合15位に終わる。しかし、安藤は順位を求めに来たわけではなく4回転を跳びに来たと語っており、4回転にトライできて良かった、と初の五輪を笑顔で締め括った。五輪終了後には、日本スケート連盟の特別強化選手から強化選手に一度格下げされたが、荒川静香のプロ転向で、再び特別強化選手に格上げ指定された。


